リアリティ(現実世界)とインターネット(仮想世界)におけるアイデンティティを考察してみる
前編の続きで、リアリティ(現実世界)とインターネット(仮想世界)におけるアイデンティティを考察してみる。
先に言った2つの例を見てもらえばわかるように、10年前の世代と今の僕たちの世代を比べると、確実にアイデンティティを確立する場面は増えている。インターネットの発達のおかげで今は誰でも自由に自分の意見を発表する場所を提供されている。1 多くの顔を同時に複数の場所で持つことが可能になったのだ。
うまく使いこなせればアイデンティティの確立に一役買う事になるのだ。
失敗すると今までの時代以上にダメージを受けることにもなり得るが。。。
インターネットとリアリティの2つの世界で同時に2つ以上のアイデンティティを確立することが出来る。完全ではないものの、それぞれがある程度独立しているといえるからである。
インターネット上では人種や性別、学歴などを無視した実力主義であり、どんなニッチな分野においてでも行動を起こせば正当に評価を得られる。リアリティでは限界のある人との接点の数がインターネットにおいては無視することが可能で、莫大な人数を同時に接点を持つことが可能になっている。これがインターネット上でのアイデンティティの確立につながるのだ。
2つ以上のアイデンティティの確立が完全では無いと言ったのは、それぞれの世界で体験した経験は結果的には一つに統合され、リアリティの自分へと還元されるからで、それが新たにインターネット上での活動やリアリティでの活動に影響を与え、さらにリアリティにおけるアイデンティティの確立をも強め続ける要因となるからだ。
しかし、同時に問題も抱えているといえる。インターネット上ではアカウントを作成することで、複数の人間を名乗ることが簡単であり、別人として振る舞うことが可能であるからだ。
その為何も考えず、むやみにアカウントを作成していくと、どれが本物の自分なのかということを見失ってしまう。
社会心理学者のケネス・ジャーゲンの影響を受けたある人はアイデンティティを「いくつもの性格の混成」と表現している。これはまさにインターネットにおけるアイデンティティにあたるといえよう。
自分のアイデンティティは一つではなく複数あるアカウントすべてを統合した物であるというと言い換えられる。元の人間は一つであるからだ。
近年問題になっているインターネット上のいじめがリアリティにおける自殺へと導くのはインターネット上での自分のアイデンティティが崩壊したことでリアリティにおけるアイデンティティに影響を及ぼし不安定になったと言うことであり、インターネットが現れたことでアイデンティティの扱いがより難解になってきたともいえる。冒頭で言った様に、うまく使いこなせれば良いが、失敗すると今までの時代では想像できなかった様な崩壊が待ち受けているのだ。
アイデンティティの形態はここ数十年で大幅に揺れ動いているといえる。
多くの顔が一つの人を形成し、今まで以上にアイデンティティを確立する場面は増えている。この行為が果たして良い事なのかという事は誰にもわからない。飛行機も空を飛べるようになるまでに数々の犠牲が生まれ、問題点を時間をかけて修正してきた。
インターネットにおいてはの犠牲者というのが未だわからない。最初から完成品はできないだろう。問題の解決には時間がかかるはずだ。インターネットとリアリティの現段階のメリットデメリットの両面を考えられたと思いたい。
- 先の2つの例の様な専門的な物からmixiやブログ、前略プロフなどに置き換えるとわかりやすいかもしれない [↩]