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筑波のAC受けてみた-結果-

2010 年 8 月 25 日 kuro コメントはありません

2週間前

二次の面接が終わってから、約2週間くらい期間が空く。

この期間心がけていたのは、落ちたことを想定して一般の勉強を進めようという事。正直自信はあったけど、何もしないと不安だけが募り、つぶれてしまいそうだった。その解決策が勉強だったという感じ。実際落ちたとき勉強してなかったらそれはそれは大きな負担になるはず。この期間勉強しなかったって事が。
でも、矛盾するようだけど、「もし落ちたら…」などとなるべく考えないようにしたほうがいい。心が苦しくなるだけだ。がむしゃらに勉強して考えるのをやめるんだ!という感じ。


そんな事を言いながら過ごしても

10月22日が近づいてくるとそうは行かない。ちょうどその日は学校の中間試験真っ最中であるが、その前日から結果が気になってしょうがなくなり、何も手がつかなかった。将棋を指して気を紛らわせて早く寝た。

22日は物理と英語だったんだけど、何もしなかった割に直前にこれが出るといって教えてもらった物理の問題がドンピシャで出てなんとかクリアできた。

お昼はガストへ6人くらいでいった。みんな自分が受けている事を知っていたから、どうなるんだろーねーとか話してたけど、内心は気が気でなかった。
帰宅するのが怖かったが、まっすぐ帰った。実は友達の家で確認してダメだったら桃鉄やりまくろうとか話してたけどね。


帰宅直後に

TwitterのTL上にあった発表ページを踏んで結果を知った。
今はあんまり受かったという実感はない。


推薦入試という種類の入学方法を選択しようと思っている人へ

推薦入試、自己推薦入試、AO入試、AC入試…etc まぁ色々と呼び方はあると思うけど、俗に言う、一般入試を受けることなく大学へ入学できる方式を選択しようとしている人に対して言いたいことがいくつかある。

・まず、時間がかかる。
自分が実績を持っているとしても、それを提出できる形にするまでに非常に時間がかかるだろう。他の合格者さんの声を聞けばわかるだろうが、数日で出来る物ではない。もし不本意な結果になった時にそこへかけた時間を悔やむような事になる可能性が考えられる。
まずは自分、そして時間をとって書類を書くという行為は理解者、親が居なければ難しいだろう。

・次に、落ちたときのショックが大きい事を想定しておく。
個人的に自分は非常にメンタル面で強い人間だと思っていたが、実際にSFCのAOで書類で落とされた時に感じたストレスというかショックは計り知れなかった。(超自信あったというのがある。塾や学校の先生にも大丈夫だろうと太鼓判を押されていたから調子に乗っていたのだ。)
全身から力が抜け、今までやってたことはなんだったんだろうといった自己の存在否定されたような気分になる。
資料を提出した後は、結果にあまり期待せず、一般で行くつもりで勉強してれば良いと思う。(一般で入れないということが明らかだとさらにショックだろうし)

・そして受けるという事自体で他の人と状況が変わる。
何となくだけど、この時期に合格が決まるかもしれないということに対して妬みのような物を感じる。中には面と向かって落ちろとか行ってくる奴もいるくらいだ。そいつは仲の良い友人で普段から口悪いし…と思ってたけど、深層心理としてそれは感じると思う。そりゃウザイと感じる人は居るはずだ。特に進学校と言われる高校に居ると、周りは血眼になって東大京大阪大だのなんだのを狙ってたりするから発言には十分気を付けた方が良い。
人と違う線路を走ると言うことを受け入れる必要がある。

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筑波のAC受けてみた-準備-

2010 年 8 月 25 日 kuro コメントはありません

実は、SFCの他に筑波のACも挑戦した。

というのも、SFCで準備した物は他でも通用すると考えていたからだ。極論だが、そのまま流用して使えるだろうと考えていた。

当初はこうした甘い考えがあったが、実際はそんなうまくはいかなかった。

SFCが終わってから筑波の資料作成に取りかかるも、この2つの入試では求めている事が全く異なっていた事に気がつく。
対比して分かりやすく表現するなればSFCは「未来」筑波は「過去」だ。具体的には、SFCでは将来のビジョンが明確である事を、筑波では過去の実績が評価に値する物である事を重視しているように感じた。

SFCの提出期限が8月17日。筑波は9月の7日。SFCの提出を終えたあと、この違いに気がついた僕は過去を整理する作業に重点を置き、取りかかった。

筑波のACでは自己推薦文に分量の制限がない。

その為、過去に書いた記事の内容について、その時考え板問題意識とその解決へ至るまでの思考プロセスを詳細に表現することを意識して書いた。
SFCでは書いた記事すべてを資料として提示したが、筑波では全体の流れが悪くなる、一貫性のないように見える記事は排除し整理して提示した。プレゼンテーション能力を問うとしきりに書いてあったこともあり、関連する図や数字を入れ、わかりやすくなるように心がけた。

またSFCで書いたことはムダにならなかった。

なぜなら、将来の方向性が決まっていた為だ。志望理由書を書くことには苦労せず、自己推薦文を改善しまくる事が出来た。

SFCよりも志望理由書、自己推薦文以外の場所で手間取る箇所が圧倒的に少ない。これは非常に助かった。

そして9月7日

前日あたりから、直前の午前中までの間で、親しい友人に書いた原稿を見せ、チェックを手伝ってもらった。5人くらいに見せ、大量の誤字脱字や文章的な誤りなどを指摘してもらった。群集のなせる力について記述していた事もあり、感動した。

午後、郵便局へ行き、出してきた。

結果編はこちらにある

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SFCのAO入試を受けてみた-結果-

2009 年 9 月 22 日 kuro コメントはありません

SFC

前回の続き。

2010年度入学AO1期、書類審査の結果発表が9月17日にあった。
合格発表の日が近づくにつれ、自信がなくなり、当日はなにも手につかないくらいに落ち着きがなかった。

あいにく発表の時(4時~5時前)には予備校へ行っていた為、居合わせる事が出来なかったが、親が確認していた為、夜に報告を受けた。
結果は、1次不合格ということで、2次の面接にはいけないこととなった。

実は、

個人的には、自分が落ちるわけないという自信があった。帰り道に面接で使えそうな本を何冊か買っているほどだ。ぶっちゃけ、自分を入学させないことは学部の損であるとさえ思っていた。

何を評価されたのか、されなかったのかというのがわからないため、何とも言えない。
ただただ、とても残念だ。

何もかもやる気が失せたが、1日使って、テレビやゲームをして、グダったら何とか気持ちを切り替えられた。

出したときにはこんな風に思ってた。

受ける前にも思っていた事は今でも変わっていない。

悔いは残ってない。自分の過去を振り返るには良い機会だったんじゃないかと思う。
将来何がやりたいのかというのも明確に出来た。これで、書類で落ちたとしてもしょうがないと思う。
ただ、自分のやってきたことに自信が持てたし、決して一般の勉強をしなかった分、損をしたとは思わない。

実際、書類で落とされてしまう結果となったが、悔いは無いし、ムダだとは思ってない。

そして、

「一般で入れる奴をAOの枠を使って入学させる必要は無い」、と相手が判断したと考える事で気持ちを一般に入れ替え、明日から本気出す。

今まで失敗、挫折を経験したことのない自分にとっては良い薬になった。ナメ腐った根性たたき直して頑張る。

今回、書いた書類一式は僕の受験が終わったら公開しようと思う。

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SFCのAO入試を受けてみた-準備-

2009 年 9 月 21 日 kuro コメント 2 件

SFC

7月中旬。

SFCで、AO入試が行われている事実を知る。

それからAO入試を受けるために、SFCの授業やらをネットで調べたり、SFC GCで実際に受けてみたりして自分に合っているな、と強く思うようになった。最難関AOという書き込みをネット上で見かけたが、倍率は一般受験とほぼ変わらない5倍程度だし、受けてみる価値はあるだろうと思った。

そして7月31日オープンキャンパスへと行って、AO受験を決意した。提出2週間前の事である。

その次の日から一般の勉強はやめて、AOの為に準備を重ねた。

最も時間がかかったのは志望理由書。

何を書いて良いのかわからず、書くことになりそうな本をひたすらに読み、Eラーニングを題材に書こうと決める。

従来のEラーニングの問題を把握しその改善案を上げ、発展途上での利用に活路を見いだす内容だった。Z会の添削コースで5回ほど直してもらって、後は自宅にこもって親に相談したり、先輩にメールで相談したり…ほとんど1週間まるまる志望理由書の構想作りになった。

自由記述スペース

これは1週間前になってから書き始めた。レイアウトは雑誌風にしようと思っていたが、最終的には可読性を求めて、雑誌風から変形させた感じのレイアウトになった。これは比較的、時間がかからなかった部分だ。というのも、自分のPRをひたすらに書いていけばいい。実は、この自己PRは志望理由書を書く前の段階で一通り上げておいたのを流用した。

そして、添付資料。

ちょくちょく進めたが、実はこれが志望理由書の次に大変だったのでは無いかと思う。添付した資料の枚数は数えていないが、100枚程度だろうか。3センチくらいはあったような気がする。自分の成果物をコピーするのだが、これが結構大変。新しくコピー機カラリオを購入して望んだ。

そして最後の2日で、

願書やその他の書類の手書きを書き始める。
志望理由書と自由記述は最後まで内容を変えることが出来るように最後に回した。

16日の夜。自由記述スペースを作り、志望理由書を手書きして寝る。自由記述スペースはコピーした紙を貼るという方法だったので、手書きはしなかった。

17日の朝、志望理由書を本書きし提出書類のチェックをして夕方、郵便局へ。
なんとか、予定通りに終了したのだった。

出した後、思うこと

悔いは残ってない。自分の過去を振り返るには良い機会だったんじゃないかと思う。
将来何がやりたいのかというのも明確に出来た。これで、書類で落ちたとしてもしょうがないと思う。
ただ、自分のやってきたことに自信が持てたし、決して一般の勉強をしなかった分、損をしたとは思わない。

余談だが、封筒に入らないかもしれないという懸念はあった。が、なんとか入った。(4つ角をセロテープで補強した)

この文章は提出した直後に書いた物だ。結果が出た後に書いた物はこちらにある

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E-Learning コンテンツをユーザーが作る時に必要な物

2009 年 8 月 31 日 kuro コメントはありません

ユーザーはコンテンツになりうる知識を持っている。しかしながら、実際にコンテンツとして用意する段階で躓く事が多そうに思う。その為、訓練を受けた編集者を雇い、コンテンツを作ることになるから、膨大なコストがかかってしまう。

コンテンツをユーザーが作るときに必要な物とは、知恵の他にツールが上げられるだろう。生産するプロセスをより加速化すればするだけコンテンツを作成する人も増えるし、それに伴いコンテンツ自体も増える。

そんな中、Eラーニングのコンテンツ開発様のソフトウェアもあるのを発見した。
articulate studio 09
E-Learning Software and Authoring Tools | Articulate Rapid eLearning

製品がいくつかに分けられているが、多くはFlashでコンテンツ作成を行うようだ。概観はWindows Officeシリーズと同じだ。
・Articulate Presenter ’09
PowerPointをパワーアップしたプレゼンテーション作成支援ツール。アノテーションの追加と音声編集機能も備える。
 ・Articulate Quizmaker ’09
こちらはクイズ作成に特化した支援ツール。T or F問題や選択問題などの基本テンプレートなどがあるようだ。リアルタイム編集が可能。
Articulate Engage ’09
フラッシュで作る動的なコンテンツに向いている。ユーザーが触って、コンテンツが動く。そんな事を可能にする。
Articulate Video Encoder ’09
これは上記の3つの製品に挿入する為の動画変換を支援する物。なんとなくAdobeの商売の仕方を思い出してしまう。

こうしたツールが無料化され、方向性をつかんだ群衆が手にしたとき、コンテンツは爆発的に増える気がする。
無料化される条件として、前提条件になるのが、無料で公開した後に企業側にそれ以上の利益をもたらすかという問題だ。
正直、今の状態では無料公開するすべはないだろう。リターンを得る場所が存在していない。

リターンを得る場所を作ることはできるだろうか。

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学校とコミュニケーション

2009 年 5 月 24 日 kuro コメントはありません

Doors Open Toronto 2008 - Fischer Rare Book Library
Attribution License by Commodore Gandalf Cunningham
学校ってなんなんだろうって考えたときに、まず始めに同年代の人間がひとつの場所に集まってきて同じ活動を要求されるわけなんだと思うんだけど、その中のキーワードにコミュニケーションという物がある気がする。

他人に興味を持つと言うことは良いことだ。それはコミュニケーションの機会が増えるということにつながるだろう。
ただ、そのコミュニケーションにも質の違いがある。不特定多数の人間と無差別的にコミュニケーションを図ろうとしている場合、今までの人生の中で全く知り得なかった人間が出てきたりする雑多な空間であるからこそ生まれるコミュニケーションを得られる可能性がある。

雑多な物、粒の大きさが違う石を排除した空間。それが学校ではないだろうか。

図書館に目を当ててみよう。区立の図書館などでは1日中新聞のコーナーに居座り続けている人がいたりと、とてもおもしろい(僕はこういう人に声をかけたがる)しかし、学校の図書館は基本的に学園内に侵入を許された、いわば身分の証明された人だけが居る。言い換えれば入学というふるいにかけられた粒の大きさが大体同じ人間がいるのだ。つまり大体、同級生は自分と同じ人間だと捉えることが出来る。学校はあえて外部の人間には解放しないで内部の人間だけに使わせているのだ。

一方で学生は年代がある程度離れていたり、さっきのような区立図書館の中の異色な人から刺激を受けて燃える事が多いと思う。大体同じような生活を送ってきた学園内の人間には生まれないような価値観を持った人間からの方が学ぶ要素が多いことを知るからだろう。

学校の図書館が雑多な物を排除しているという現状から考えると、学校にかよっている間はそういった刺激をうけすぎないように自らコントロールするべきなのだろう。学校がそれを望んでいるということだ。学校が考えてきた長年正しく成長させる方法というのに背いてしまうというのは危険な事なのかもしれない。

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今日から本気出す

2009 年 4 月 30 日 kuro コメントはありません

前回のポストとかぶるんだけど、この6年間でまとまって勉強したという記憶がない。少なくとも一般的に認められている勉強をしてきていない。1
その為、基本的に知識がないし、世間一般から言われる教養も少ない。

人と違った風に生きるということを好み、一種の美徳なんだと勘違いしていた部分があったようだ。

今の段階では普通に生きることも出来るという選択肢を残しておかないと、将来限られた方向に縛られてしまうのだろう。
普通に勉強して普通に生きるということをやってみようと思う。

  1. 数学、英語、物理、化学…etc []
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最後の記念祭が終わった

2009 年 4 月 30 日 kuro コメントはありません

入学してから6年間が過ぎた。その間に合計6回の記念祭があった。その多くを模擬店に費やし楽しんだ。

実際に終わってみると虚無感が有ることに気がつく。と同時にこれからはもう2度目はないのだという事にも気がつく。

あっという間に過ぎてしまった6年間は決して無駄な物だとは思わない、やり直したときにもっと別な事をやりたかったとも思わない。1

今までの経験が今の自分を形成していると感じるし、それで良いのだと思う。

現段階ではこの6年間を感じて居るのが、おそらく成人し、ある程度年を重ねたときにも同様に感じるのではないだろうか。
大して月日は人間を変えないし、それを信じて時だけが流れると大変な事になってしまいそうな不安がある。

そんなことを考えたりしながら、今日も終わる。

記念祭で大量に残ったお好み焼きとクレープの材料を持ち帰ってからというもの、毎食残り物が出てくるのが精神的に追い込む原因にもなっているのだろうか。 いやそれは関係ないか。

  1. 他のことにチャレンジしてみたいというのはあるが []
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私の定義する息抜き

2009 年 3 月 30 日 kuro コメントはありません

勉強を息抜きと定義する。

息抜きばかりしていたらいけないが、ある程度の息抜きは人生に必要だとよく言われるが、その通りだ。
息抜きばかりしているとろくな人間になれないが、息抜きをしないと人間になれない。

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