2週間前
二次の面接が終わってから、約2週間くらい期間が空く。
この期間心がけていたのは、落ちたことを想定して一般の勉強を進めようという事。正直自信はあったけど、何もしないと不安だけが募り、つぶれてしまいそうだった。その解決策が勉強だったという感じ。実際落ちたとき勉強してなかったらそれはそれは大きな負担になるはず。この期間勉強しなかったって事が。
でも、矛盾するようだけど、「もし落ちたら…」などとなるべく考えないようにしたほうがいい。心が苦しくなるだけだ。がむしゃらに勉強して考えるのをやめるんだ!という感じ。
そんな事を言いながら過ごしても
10月22日が近づいてくるとそうは行かない。ちょうどその日は学校の中間試験真っ最中であるが、その前日から結果が気になってしょうがなくなり、何も手がつかなかった。将棋を指して気を紛らわせて早く寝た。
22日は物理と英語だったんだけど、何もしなかった割に直前にこれが出るといって教えてもらった物理の問題がドンピシャで出てなんとかクリアできた。
お昼はガストへ6人くらいでいった。みんな自分が受けている事を知っていたから、どうなるんだろーねーとか話してたけど、内心は気が気でなかった。
帰宅するのが怖かったが、まっすぐ帰った。実は友達の家で確認してダメだったら桃鉄やりまくろうとか話してたけどね。
帰宅直後に
TwitterのTL上にあった発表ページを踏んで結果を知った。
今はあんまり受かったという実感はない。
推薦入試という種類の入学方法を選択しようと思っている人へ
推薦入試、自己推薦入試、AO入試、AC入試…etc まぁ色々と呼び方はあると思うけど、俗に言う、一般入試を受けることなく大学へ入学できる方式を選択しようとしている人に対して言いたいことがいくつかある。
・まず、時間がかかる。
自分が実績を持っているとしても、それを提出できる形にするまでに非常に時間がかかるだろう。他の合格者さんの声を聞けばわかるだろうが、数日で出来る物ではない。もし不本意な結果になった時にそこへかけた時間を悔やむような事になる可能性が考えられる。
まずは自分、そして時間をとって書類を書くという行為は理解者、親が居なければ難しいだろう。
・次に、落ちたときのショックが大きい事を想定しておく。
個人的に自分は非常にメンタル面で強い人間だと思っていたが、実際にSFCのAOで書類で落とされた時に感じたストレスというかショックは計り知れなかった。(超自信あったというのがある。塾や学校の先生にも大丈夫だろうと太鼓判を押されていたから調子に乗っていたのだ。)
全身から力が抜け、今までやってたことはなんだったんだろうといった自己の存在否定されたような気分になる。
資料を提出した後は、結果にあまり期待せず、一般で行くつもりで勉強してれば良いと思う。(一般で入れないということが明らかだとさらにショックだろうし)
・そして受けるという事自体で他の人と状況が変わる。
何となくだけど、この時期に合格が決まるかもしれないということに対して妬みのような物を感じる。中には面と向かって落ちろとか行ってくる奴もいるくらいだ。そいつは仲の良い友人で普段から口悪いし…と思ってたけど、深層心理としてそれは感じると思う。そりゃウザイと感じる人は居るはずだ。特に進学校と言われる高校に居ると、周りは血眼になって東大京大阪大だのなんだのを狙ってたりするから発言には十分気を付けた方が良い。
人と違う線路を走ると言うことを受け入れる必要がある。
実は、SFCの他に筑波のACも挑戦した。
というのも、SFCで準備した物は他でも通用すると考えていたからだ。極論だが、そのまま流用して使えるだろうと考えていた。
当初はこうした甘い考えがあったが、実際はそんなうまくはいかなかった。
SFCが終わってから筑波の資料作成に取りかかるも、この2つの入試では求めている事が全く異なっていた事に気がつく。
対比して分かりやすく表現するなればSFCは「未来」筑波は「過去」だ。具体的には、SFCでは将来のビジョンが明確である事を、筑波では過去の実績が評価に値する物である事を重視しているように感じた。
SFCの提出期限が8月17日。筑波は9月の7日。SFCの提出を終えたあと、この違いに気がついた僕は過去を整理する作業に重点を置き、取りかかった。
筑波のACでは自己推薦文に分量の制限がない。
その為、過去に書いた記事の内容について、その時考え板問題意識とその解決へ至るまでの思考プロセスを詳細に表現することを意識して書いた。
SFCでは書いた記事すべてを資料として提示したが、筑波では全体の流れが悪くなる、一貫性のないように見える記事は排除し整理して提示した。プレゼンテーション能力を問うとしきりに書いてあったこともあり、関連する図や数字を入れ、わかりやすくなるように心がけた。
またSFCで書いたことはムダにならなかった。
なぜなら、将来の方向性が決まっていた為だ。志望理由書を書くことには苦労せず、自己推薦文を改善しまくる事が出来た。
SFCよりも志望理由書、自己推薦文以外の場所で手間取る箇所が圧倒的に少ない。これは非常に助かった。
そして9月7日
前日あたりから、直前の午前中までの間で、親しい友人に書いた原稿を見せ、チェックを手伝ってもらった。5人くらいに見せ、大量の誤字脱字や文章的な誤りなどを指摘してもらった。群集のなせる力について記述していた事もあり、感動した。
午後、郵便局へ行き、出してきた。
結果編はこちらにある
どうやらネット上の自分を見ていると、ブログを2007年くらいから初めて、2009年頭のころまで頻繁に更新していた。おかげで、ネット上で友人ができたし、仕事ができているわけなんだが、2009年以降、ブログを更新しなくなっていた。これは受験によるものが大きいが、大学に入ったことだし再開してみてもいいかなという気分になった。
というわけで、更新を再開しようと思っている。有益な情報の発信は難しいが、自分の活動ログとして残せたらいいかなぁと思う。
ちなみに、ローカルで6月頭から書いていた日記もパソコンで書くことにした。
家計簿はローカルのままだが、まず家計簿をつけるという作業に慣れるまではローカルでもいいかな。先月の出費は4万円くらいだった。まぁ節約して一人暮らししている感じだ。


フランスでもらったという10ユーロ分のテレフォンカードをもらった。
色々と検索してみたけども、真偽は不明。
フランス語があいにく読めないのでぐぐれないっていう…
Centre d’appel 3975 – Paris.frが、運営会社らしいのだけれども、ココのページは電話を使った、子供向けの位置情報サービスを提供してるっていう情報っぽい。
誰か情報くださいなー

図書館って結構いいなーってこの6年間で最近思い始めた。
本がたくさんあるし…いくらでも利用できるときには気がつかない事っていうのは日常にあふれているのですよね。
利用できなくなって気がつくその恵まれていた環境や貴重さ。
人生ってそんなものなのかな。
きっと後悔しない人間なんていないはず。
でも、その代わりに何かをやっていたはずだ。


スポーツは好きだ。
だが、痛いのは嫌いだ。
先日、サッカー中に起きた出来事なのだが、ボールがちょうど胸あたりに飛んできた。
競り合いだったという状況もあり、とっさにヘディングをしようと思い頭をかがめたところ、横からなのか下からなのかはわからないが、とにかく側頭部に激痛が走り、視界がホワイトアウトした。
しばらく脳しんとう気味になりふらふらとしていたが、そのうち復帰した。
痛みを忘れて数時間後、おやつの時間。
目が青くなっているとの指摘を受けて鏡を見に行くと、確かに右まぶたの上が腫れている。
視界が狭まっていたのはたまった血で重たくなったまぶたがシャットアウトしていたのだ。
ガチャピンの顔よろしくな顔になってしまった。
次の日、状況は悪化し、目の下まぶたのところへ、血が移動してきた。右目は若干紫色になり、尚顔つきがわるくなってしまった。
はやく治ってほしい。
学校に最近居座っている猫がいる。巷では化学大好きなスーパーキャットではないかという説もあるが、事実の程は不明。
人間に非常に慣れていて、かわいいんだなこれが。
人間が遊ぶ相手にはちょうど良い。純粋無垢っていいよね。
って実は、自分が遊ばれ居るのかもしれない…くっそぉおおおー