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リアリティ(現実世界)とインターネット(仮想世界)におけるアイデンティティを考察してみる

2009 年 2 月 28 日 コメントはありません

前編の続きで、リアリティ(現実世界)とインターネット(仮想世界)におけるアイデンティティを考察してみる。

先に言った2つの例を見てもらえばわかるように、10年前の世代と今の僕たちの世代を比べると、確実にアイデンティティを確立する場面は増えている。インターネットの発達のおかげで今は誰でも自由に自分の意見を発表する場所を提供されている。1 多くの顔を同時に複数の場所で持つことが可能になったのだ。
うまく使いこなせればアイデンティティの確立に一役買う事になるのだ。
失敗すると今までの時代以上にダメージを受けることにもなり得るが。。。


インターネットとリアリティの2つの世界で同時に2つ以上のアイデンティティを確立することが出来る。完全ではないものの、それぞれがある程度独立しているといえるからである。


インターネット上では人種や性別、学歴などを無視した実力主義であり、どんなニッチな分野においてでも行動を起こせば正当に評価を得られる。リアリティでは限界のある人との接点の数がインターネットにおいては無視することが可能で、莫大な人数を同時に接点を持つことが可能になっている。これがインターネット上でのアイデンティティの確立につながるのだ。

2つ以上のアイデンティティの確立が完全では無いと言ったのは、それぞれの世界で体験した経験は結果的には一つに統合され、リアリティの自分へと還元されるからで、それが新たにインターネット上での活動やリアリティでの活動に影響を与え、さらにリアリティにおけるアイデンティティの確立をも強め続ける要因となるからだ。


しかし、同時に問題も抱えているといえる。インターネット上ではアカウントを作成することで、複数の人間を名乗ることが簡単であり、別人として振る舞うことが可能であるからだ。

その為何も考えず、むやみにアカウントを作成していくと、どれが本物の自分なのかということを見失ってしまう。
社会心理学者のケネス・ジャーゲンの影響を受けたある人はアイデンティティを「いくつもの性格の混成」と表現している。これはまさにインターネットにおけるアイデンティティにあたるといえよう。
自分のアイデンティティは一つではなく複数あるアカウントすべてを統合した物であるというと言い換えられる。元の人間は一つであるからだ。


近年問題になっているインターネット上のいじめがリアリティにおける自殺へと導くのはインターネット上での自分のアイデンティティが崩壊したことでリアリティにおけるアイデンティティに影響を及ぼし不安定になったと言うことであり、インターネットが現れたことでアイデンティティの扱いがより難解になってきたともいえる。冒頭で言った様に、うまく使いこなせれば良いが、失敗すると今までの時代では想像できなかった様な崩壊が待ち受けているのだ。


アイデンティティの形態はここ数十年で大幅に揺れ動いているといえる。
多くの顔が一つの人を形成し、今まで以上にアイデンティティを確立する場面は増えている。この行為が果たして良い事なのかという事は誰にもわからない。飛行機も空を飛べるようになるまでに数々の犠牲が生まれ、問題点を時間をかけて修正してきた。
インターネットにおいてはの犠牲者というのが未だわからない。最初から完成品はできないだろう。問題の解決には時間がかかるはずだ。インターネットとリアリティの現段階のメリットデメリットの両面を考えられたと思いたい。

  1. 先の2つの例の様な専門的な物からmixiやブログ、前略プロフなどに置き換えるとわかりやすいかもしれない []
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Free donwload in the Internet

2009 年 2 月 27 日 コメントはありません

英作文があったから書いてみた。データはRESOURCES – IFPI publishes Digital Music Report 2009を参考にした。
おそらく、ここから校正を入れてから提出することになると思う。

以下書いた英文
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インターネットとおたく

2009 年 2 月 27 日 コメントはありません

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インターネットは楽しい。
学習するにせよ、志向性を探すにせよ、娯楽として使うにせよ楽しい。そしてインターネットがリアリティの人生と交わりを持ち、人生に影響を及ぼすのは間違いない。

一般的にリアリティに満足している人はインターネットにはあまり興味を示さない。低年齢が故に持つ制限や発言力のなさを不満に思う層が若い世代であるから、利用者数も多い。
現実に失望し可能性をインターネットに求める傾向がある。

「3次元(リアリティ)の女には興味が無い。気持ち悪い。。。でも2次元(インターネット)には5人の嫁(溺愛するキャラクター)が居る。」などという叫びを教室内でも聞くが、これも現実に失望した結果、インターネットに可能性を求めていった結果だろう。また、教室内で誇らしげに叫んでいる時点で何らかの評価を求めているように思える。

インターネットがリアリティの自分を作り出す好例ではないだろうか。特に僕がその事について良いとか悪いとか一概にしていえないが、インターネットの持つ影響力に恐怖する。

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リアリティ(現実世界)とインターネット(仮想世界)におけるアイデンティティ

2009 年 2 月 27 日 コメントはありません

インターネット上には数年前からオープンソースという言葉の輪が広がっている。1
オープンソースの一番身近な例を上げるとWikipediaがある。Wikipediaは全世界の人々の小さな(人的、時間的な)リソースをあわせる事で世界で最大の百科事典作ることを目標とした非営利団体で、WEB2.0的思想の代表としてしばしばWEB2.0の説明に用いられる。

Wikipedia領域内での活動に対しては報酬が一切発生しない、つまりボランティアである。記事目の編集者はなにも得られないかというとそうではないのだ、後に記述するように正当な評価をしかるべき人間にしてもらい(他人による承認)、アイデンティティの確立を試みる事が出来るのだ。


同様に無償でプログラムのソースコードを共有しあう、SorceForege(各国語版)ではプログラマが仕事とは別にプロジェクトを立ち上げ、国や性別、環境を問わず、自由に興味を持った人が参加して修正、追加などを行ってよりよりプログラムへと成長させている。

プログラミングのコードの記述にはある一定のルールがある。日常話している言語と同様に文法などがあるのだ。その為、同じ動作をするソフトを作るに当たってもコードはその人の考えや価値観が反映され、書く人によって十人十色となる。これが、コンピューターの中にアイデンティティが生まれるという事を確認できる事の一つだ。


GoogleやYahoo!、Microsoft等のIT系企業は、こういった活動を非常に重視していて、活動の中で目立って活躍している人物を採用している。同時にコードから何を考えているのかというのをくみ取っているのだ。これはWikipediaにおける編集者の行いが評価(他人による承認。アイデンティティの形成。)された先にある物でこれらが対価にあたる物になるかもしれない。

後編へと続く。

  1. オープンソースとは今まで企業がソフトやアプリのソースコードを企業秘密として管理し、外部の人間には非公開としていたものを誰でも閲覧または一定のルールの上で改変できるような状態におくことを指す。 []
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